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その頑張り、罪悪感が動機ではありませんか?

2年前の晩秋の出来事。
長文です。


私自身がアダルトチルドレンであることは、度々記事にしてきていますが・・・・



その前に、私のアダルトチルドレンの型は自己診断ですが、おそらく以下のmixで。





ロストワン  http://ac.3rdcom.com/cate/ac130140100100.html

リトルナース  http://ac.3rdcom.com/cate/ac130150100100.html

プラケーター  http://ac.3rdcom.com/cate/ac130160100100.html

今はもうほとんどこの傾向はないけれどずっとあった、 イネイプラー    http://ac.3rdcom.com/cate/ac130170100100.html

子育て中に思いっきり爆発した ロンリー  http://ac.3rdcom.com/cate/ac130180100100.html

プリンス  http://ac.3rdcom.com/cate/ac130190100100.html




とまあ、アダルトチルドレンの色んな側面をバラエティ豊かに備えていました(笑)。








で、そんな自分を「おかしい」と思って「自分が変わらなくちゃ」と思って、でもなかなかうまくいかなくて「そんな自分をダメだと責めて」・・・・・

というサイクルをずっと繰り返してきたのです。





どうして上手くいかなかったのかは・・・・・・罪悪感があったから





さて・・・・そんな


「おかしくて」 

「かわらなくちゃいけないのにかわれない」 

「ダメな自分」 


だった私ですが、その大元というか、起源は「親にとっていい子になれなかった自分」という罪悪感かな・・・と思います。






勉強しなさいと言われてもしなかったし、

もちろん頭が特段いいわけでもなく、運動は苦手。

ピアノは途中でやめちゃったし。

親が期待するようなよくできる子ではなく、偏差値の一番高い高校には入れるはずもなく・・・・・・。




好きな本と音楽には夢中になれるけど、勉強もできないのにそんな遊びにばかり興味が向く自分をジトジトと責めている部分もあり。

更にはちょっとばかり虚弱体質でいつも熱を出しては親に迷惑をかけ・・・。






これが、私自身の罪悪感の原型なのです。


まあ、つまりはことごとく親の期待に添えなかったことでうっすらと、時にハッキリとがっかりされてきたわけです
(( ̄ー ̄;




子供ってね、がっかりされると罪悪感を持ってしまうこともあるのですよ。



「世話になっているのに期待に添うことのできない罪悪感」

「興味がないことをうまくこなせない自分への罪悪感」

「(やらなくちゃいけないことができないのに)好きなことをすることへの罪悪感」

「体力がない自分への罪悪感」





この罪悪感が、どれほど私の人生の中で大きな影響を及ぼしてきたことか・・・・・(=◇=;)





色んなこと、結構頑張ってきましたが、その頑張りの動機の多くが「罪悪感を抹消したいから」という、




ひょえ~~ヽ(;´ω`)ノ

それじゃ幸せになるのはムリムリ~~(;´Д`)ノ 




っていう、動機だったことは否めません(°д°;)







罪悪感が動機で、うまくいくはずがない・・・・というのは引き寄せの法則を学び実践していく中で痛感してきました。


どうしてもうまくいかないことの一番の原因は、親でもなく他の誰かでもなく、環境でもなく、いつも私自身の中にあって。


表面上は大分薄くなったように見えても、「罪悪感から行動してしまうこと」パターンが根深く根深く、残っていたのです。







で。

アダルトチルドレンだったという事実はあるけれども。

罪悪感のパターンは持っているけれども。



人生も後半に突入し、私は自分の人生を生きたい、と心に決めていて・・・・・。





なので、親との関係は過去を含め未だに色々あってもその都度自分の中でケリをつけて



「ほんとのほんとは、自分はどうしたい?


罪悪感がなかったら、私はどうしたいの?」




ということを常に自問して、より純粋な動機から始める練習をず~っとしてきているわけです。




より純粋な動機、というのは「本来の自分の動機」とも言えますねp(^-^)q









なんとまあ長い前置きですが、ここからが本題というか、【あまりにも!】な出来事・・・。





それは・・・・



高校受験を控えていた長女の進路について・・・・・





「この前、長女ちゃんから志望校を聞いたんだけど、あれは本人の希望なの?

もしよかったらなんだけど、(私の)妹ちゃんの行った学校はとても合うと思うから、そこに行くんだったら(お金の)援助をしたいと思っているんだけど・・・

そんな必要ないとは分かっているけど、私の気持ちだから・・・・

きっと長女ちゃんのためになると思って、余計なお世話かもしれないけど・・・・」



という母からの電話。







私と同じく勉強苦手組、不器用な長女の志望校を、母が気に入らないんだなーーーということは即座に分かり(というか、志望校を聞いた瞬間から表情でわかったけど・・・)、


母自身の納得できる進路を「あなたのためだから」というお決まりのセリフとともに、さも親切そうに提案してくる母の言葉にげんなりしつつ怒りメーターは上昇ヾ(▼ヘ▼;)


&、自分の子にあのコントロールが及ぶかと思うとゾッともして。








テメエ、ふざけんなよ!!!



と心で悪態をつきつつも電話越しに冷静に



「どうして今私にそういうこと言ってくるの?

そういうのはちゃんと顔を見て本人交えて話すことじゃないの?

うちは子供の進路は子供の希望を優先させる方針だし、そういうアドバイスはいりませんから。

大体長女はその学校行かないって言ってるし」


と言うだけいって切りました。








もうねーーーー、


親の言う「あなたのためだから」を信じちゃいかんね!!!

ただの親の自己満足欲を満たすだけだからね!!!

誰かのこういう欲を満足させても、自分が満足することはないからね!!!



と改めて思い・・・・・

親の希望を叶えて生きる人生にどれほど無理があるか、自分の人生を振り返りつつ、改めて深く深く考える機会となりました。









これは私の主観だけれども・・・・・・、


人に一番大事なのは、自分で自分のことを決める勇気、失敗する自由、成功する自由。


それを積み重ねていったら、ずっと自分らしく生きることになる。





そして人は、自分らしく生きられた時に最も輝く!



だから、勇気を出すきっかけを奪ってはいけないし、

失敗する自由を奪ってはいけない。

成功する自由も奪ったり横取りしたりしてはいけなくて。








だから・・・・例えば子供のいる親だったら。



家族にできることは、勇気を出すのを信じて見守ること、

他の人や子供と比べないこと、

失敗しても離れず、そっと見守りそばにいること、

成功したら共に喜ぶこと、

その子らしさをいつでも応援すること


なんじゃないかな、と私は思っていて。





逆に言うと、親はそれくらいしかできないけれど、成長過程でそういう場があったら人は勇気を出せるし、安心できるし、失敗しても再び前を向くことがきっとできる、と信じているのです。




そういう力を得ることができる。

それこそが自由になること。




でね。

この電話の一件があってから自分の人生を振り返り、思ったことがあって・・・・・。





私は勉強はできなかったけれど自分ではそれは仕方ないと受け入れてたし(だって勉強してなかったから)、

運動できないのだってちょっと恥ずかしいけどだからってそんな自分を嫌いとまでは思わなかったし、

高校は親は期待外れだったかもしれないけど私は高校生活にとっても満足していたし、


本も音楽もずっと大好きだったし、


ピアノは何故か中学に入ったからとやめてしまっただけで、今でも聞くのは大好きだし、

大人になった今は分かるけど「好きなこと・遊び」を思いっきり楽しめるのは、人生を豊かにするすごくいいことだと思うし、

体質だって自分らしく生きるようになってからはかなり動けるようになってきて。

勉強や運動は苦手だったけど、私だからできる何かだって、きっとある、とどこかで信じていて。







じつはね、私自身は自分になーんのダメな部分も見出していなかったのだと、最近気付きました。



「親の目」を通して自分を見ていたから、ダメなとこばっかりで、世話ばっかりかける割にはパッとしないダメな子、と自分を認識してしまっていたのだな、ということ。






親のメガネをかけて自分を見ては否定し、罪悪感を持ち、空回りの頑張りを続けてきて我ながらタイヘンだったね・・・・・とは思うけれど・・・・・


私のアダルトチルドレンの経験は私の人生の大部分を占めているし、自分にとって一番といっていい位大事な経験だったと思うのです。

そういう意味ではあの経験があってよかった・・・・と心から思います。







もし、私にアダルトチルドレンの経験がなかったら。


これ程までの心の痛みや癒しの大切さ、アダルトチルドレンを超えて前を向くことの力強い感覚はわからなかったですし、

子育てを通してこれ程の光を自分の中に、今の家族の中に見出すこともなかったと思うのです。


そして、あの経験があったから「私だからできること」は確実に増えたと実感していて。


全て、今の私にとって欠かすことのできない、貴重な体験であり豊かさの源泉になっています。





長くなってしまいましたが、あと一つだけ、今日の記事に付け加えたいこと・・・・・・



もし、この記事を読んでいるアダルトチルドレンの方の中で、

「親を許せない」

と苦しんでいる方がいらっしゃるとしたら。





親を許すとか、許せない自分を許すとか。

そんなことできなくてもいいじゃん、と私は思っていて。




許せないと感じていることを無理に許すこと自体、自分に正直なことではなくて。

自分を愛することからどんどん離れていってしまうことになって。




大体、人生そんなきれいごとじゃすまないし、私たちは仏様ではないから(笑)。

だからもっと人間らしく、できないことがあったっていい。

神さまも仏さまも、なんならお天道様も、そんな私たちを百も承知で見守ってくれている。応援してくれている。





許せないままでも、自分が幸せになるための一歩を踏み出すことは誰にでもできて。


そう。

親を許すより前に、自分が幸せになってしまってもいいの。



そうやって一歩一歩進んでいくうちに、許すとか許さないとかどうでもよくなって忘れちゃうくらい、自分の人生に夢中になれたらそれでいいんじゃないかな。

そう思います。




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